2008年11月30日日曜日

退院後最初の診察28日=「主治医の見解」(この「」の中)



        (画像右下にポートの丸い隆起が見える、コメント最後に詳細)

今月は今日までと、わざわざ言う訳は、発病満2年となったからです。低い生存率の中やっとここまできた。
といってケーキでお祝いでもないだろう、現状を直視して希望を失わず、人々との関わりを大切にして、1日1日をしっかり生きてゆくだけだ。皆様のご支援に心から感謝します。

 前回コメントで患者としての入院までの状況と、してからの事態の一応の検討をした。
今回の診察では主治医D医師の判断を知ることができた。

 ☆在宅酸素(ボンベ)導入について
=「症状から導入を予定していた。肺活量回復は目に見える証拠はない」

 D医師は11日(入院5日目)には導入決定のための動脈血ガス分析(あの痛い採血!)を実施した。実際は測定中になぜか飽和度改善が現れてうれしいことに酸素ボンベは回避された。ただしこの改善の原因は今日の胸部X-ray画像には(残念ながら)材料がなく、肺の「むくみ」がとれたというような「不可視」の動きが肺活量回復を助けたようだとの判断だった。

 ☆抗がん剤の連用による副作用=「骨髄抑制が見られる」

 6日は「ジェムザール」、次週13日、20日と新規「トポテシン(カンプト)」の3連打、これは私も希望したこと。これで副作用は骨髄抑制にキチッと現れた、白血球数は10日11100という高い値から退院前日3170まで下がり続け、今日もまだ3160と低いところにある。最高値の時期はには感染症という判断でステロイドも処方されて、これは効果があった、このころは発熱、下腹部にかゆい発疹、食欲不振などで最悪の時期だった。
 味覚の変化、食欲不振はこのところ継続中。
 点滴は、まだ私の白血球数レベルが低いので回復をまって再開の予定。

 ☆CVポート埋込み(中心静脈直結点滴ライン)手術=「手術後すぐ使えます」

 今回の入院の目的の一つは、両腕の血管がくたびれて点滴ライン確保が難しくなっためポート埋込みは懸案だった。12日そのオペのさなかに「突発事態」があった、左胸上部に麻酔が効き始めてメスが入った「うーーん、組織が硬い、この部位にX-ray当てましたか」との執刀医のご下問、なんで今ごろ聞くの!と思ったが「7月に50Gy照射した」というと「右に変更します」ということになって
麻酔からやり直しとなった。放射線はたんぱく質、筋繊維を固めるのだ、あの頃「放射線ガン細胞は半熟か」という句を書いたが、周辺も同様になっていた。
オペ終了後、直ちにオペ説明をした主治医に「X-ray照射、説明無し」を抗議した、脚のオペでなくて良かったよ。
 オペ直後からでもこのポートは使えるという触れ込みであったが、未使用だ。
 右胸画像では直径3センチくらいの丸い隆起が見える、触感では結構大きく感じる。

2008年11月27日木曜日

11月の出来事とは


                   画像は「トポテシン(カンプト)」輸液
 今日、18日時点の腫瘍マーカーCEA(β)がわかったので、この貴重なエビデンスを手がかりに事態の解明(オオゲサだ)を試みたい。

 11月以前から食欲不振傾向、取れない咳・痰があって体重は減っていた、抗がん剤は再起用のナベルビンを受けていた。胸部X-rayは見るからに「不振」でstudy2007さんの保証付だった、呼吸切迫で「話がかすれる、つまる」現象が出ていた。11月6日もそんな状況下、ナベルビンの次打者(これも再起用)のジェムザールを受けにいったところ、酸素飽和度が91%で「ご用」とばかり即入院となった。この間の腫瘍マーカーCEA(α)は38.2(10月3日)まで上昇、ナベルビンを捨ててジェムザールにスイッチ。したがって11月はジェムザールの効果、副作用が出ていた。

 腫瘍マーカーCEA(β)は、主治医ではなく近くのホームドクターで測っている、設定基準が異なるので(?)、こちらは低めにでてくるが、今回は2回目で対照比較できた27.6(9月19日)から25.8(11月18日)にダウン、2カ月で差は2だが下がるのは嬉しいことだ。α、βのずれを更正する必要があるが、計算はできない。
 11月18日は13日にジェムザールの次打者「トポテシン(カンプト)」(上の画像)を受けた直後でもある。

 まとめていうと、ナベルビンが効かずに胸部X-ray、腫瘍マーカーCEA(α)が悪化して、体感では呼吸切迫が発生、「ジェムザールの効果がでた(主治医)」のか酸素飽和度は4.5日で改善された、抗がん剤も「トポテシン(カンプト)」へスイッチ、点滴直後に腫瘍マーカーCEA(β)を測定して、上記のような良い結果も現れ、体感も明らかに改善されている。
 悪化の下り坂の勾配が少しゆるくなったと断言するのは、患者には難しいこと、しかし18日の腫瘍マーカーCEA値はそういっているように思えてならない。

2008年11月6日木曜日

点滴から緊急入院へ

 といっても中味はこんなことです。
 朝からジェムザール点滴、白血球数は5000台で良かったのだが、酸素飽和度がレベル以下、在宅酸素をセットするまで1週間の入院をということになった、この間にCVポート埋込(外科手術)も予定している。

 これまでも1週間位のブランクはありましたが、ご挨拶ということで、近くの病院だから抜け出してきてアップしました。

2008年11月2日日曜日

決定打出ず、「血管内治療」には条件が多い

  関西に「TAE(動脈閉塞術)」を肺がんにも適用、保険診療するクリニックがある、という貴重な情報に反応して経過現況レポートと造影CTフィルムを送った。
 私の場合、多発ガンで胸膜転移もあるという現状は、むつかしいとう判断も聞いていたが、イレッサと同じ小さい可能性を信じて相談した。
 フィルムが着いた日に第一報、少し駄目押し質問を呈してそれも2日目に返事が着いた(費用は20000円)。

 結論は、化学療法以外に方法はない、理由は前述の散開した病巣にたいして、動脈から攻めてゆけないのだ。

 咳・痰頻発で着実に悪化している、味覚の変化がとても厄介、背景の食欲刺激因子が少なくなっているのも手伝っている、オイオイだ。

 関東大学対抗戦(ラグビー)で慶応が明治に勝ったくらいでは食欲回復しない。