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2009年1月29日木曜日

忙しい病人=ペインクリニック受診

 
 28日、主治医の予約は11:30だが、事前に必要なのは採血(腫瘍マーカーCEA用の検体分も)、丸山ワクチン注射、胸部X-ray撮影である。時間は掛からないが、採血結果が診察の材料になるから少なくとも30分前に検査終了の必要がある。
 午後の予定は別の医院のペインクリニック2日目へ、この医院は混むので有名、3時の診療に備えて12時すぎから順番とりの患者(近くの人が多い)現れるのだ。

 主治医の診察は、11:45開始、主訴などを前日ファクスしておいたので、今朝の血算値の確認、次回予約などでスムースに終わった。
白血球数は6000、CRP3.5,好中球4158もそこそこだった。
れいの転移部の肩の痛止めに「オキシコンチン(モルヒネ系)」「ポルタレン(座薬)」を処方してもらった(今、朝食から2時間以上経過したが食後にのんだ「オキシコンチン」は効いてこない)。
 造影CTも前回10月撮影だから撮ることになった。
 ペンディングのトポテシン(カンプト)点滴は、今日の腫瘍マーカーCEA値を来週見てから設定する予定だ。

 昼食後待つのを覚悟でペインクリニックへ、どうしたことか閑散としている、2番の権利確保、1時間以上待ったがこれは想定内だ。
 昨日の「He-Neレーザー照射(9ヵ所)」は、施術後寝た子を起こしたように疼痛が強まってしまったので、「星状神経ブロック」治療(高度な手技が必要)だけにしてもらった。この医師は連れ合いが帯状疱疹のときお世話になって、評判のよい人である。

 昨日からの疼痛は弱まらず、今日になっても効き目の兆しがみえない、昨日の初診時に医師は、施術にはやや消極的で、上にかいたモルヒネ系、座薬のほうを勧めてくれたという経過があった、その中での施術だから、私の症状とは相性がわるいケースなのかもしれない、疼痛を今も間欠的に感じる。

 こんな昨日、今日である、病人もひまじゃない。

2009年1月16日金曜日

5回目トポテシン(カンプト)点滴回避




 





(画像、ツボのなかは薬膳スープ、左はスープに潜んでいた生薬「おうぎ」の根茎?、食べら
れません、「菜香(飲茶フロア)」、中華街・08.12.29)

 前の週の点滴中から不調に陥り、その後も食事をとるとそのあと気分が悪いとか、全「心」的に活性が低いので15日の点滴は受けたくない旨連絡を入れた、来週水曜まで延期となった。
 14日は、自費腫瘍マーカーCEA検査の第1回(2800円)、眼科で定期眼圧検査(緑内障容疑)両眼14で正常、眼圧コントロールのために「キサラタン」、高い薬だが眼圧は日一回の点眼でコントロールされている。

 上記食欲不振対策と目薬も含めて、8種を体調を睨みながら服用中、高齢の病人には珍しくないことだが、やれやれといしか言い様がない、全「心」的不活性はやや改善だ、これは日にち薬効果?。 

2009年1月9日金曜日

4回目点滴再開、前回よりダメージ大きかった、波乱の幕開け。


    (画像は「年越し派遣村」本部テント付近、少しカンパを持参=1月3日、日比谷公園}

 7日に放射線科G医師を訪ねて、胸部X-ray撮影後、転移部位をもつ左肩を見てもらったが、当面痛み止め薬などの対症療法しかないということになる。

 8日午後は主治医D医師、トポテシン(カンプト)の4回目、昨日撮影した胸部X-ray画像は「変化なし」、当日の白血球数は5000ぴったり、好中球69.8%、酸素飽和度は良い、97%。
 点滴開始となったが、どうも気分が良くない、鼻水多発、少し発汗、前回は点滴後に出てきた症状が前倒しで発現、苦しい点滴続行となった。約3時間、ヘロヘロ状態、連れ合いと友人(車)が迎えにきてくれた。
 帰宅後すぐ寝床へ、吐き気止めなど最小限のクスリを飲んで寝るだけという始末。

 9日、予定では腫瘍マーカーCEAを自費で測るための通院を予定していたが中止、雪の予報は外れたようだが出かける気力に欠ける。消化管粘膜にダメージあり。
 左肩は、鎮痛剤を飲むも効き目少ない、湿布しかないんだろうか。 

2008年12月25日木曜日

トポテシン(カンプト)点滴=えらく疲れた、食欲絶不調


    (今年の美味、5月札幌駅前三越地下で求めた札幌某名店のさば棒鮨、と缶シャンパン)

 3回目になる、午前の予約の時は、家を8時過ぎにでる。
 採血、胸部X-rayはおきまり、白血球数は5610へ戻っている、画像もやや改善とのこと(ドクター所見、患者未見)、ただし腫瘍マーカーCEAは10ほど悪化、一歩後退・二歩前進(なんじゃこれ)、点滴実施となった。
 3時間10分で全コース終了、この前後に測った血圧、体温、酸素飽和度は大きい変動はない、バイタル正常ってやつだ。
 ところが食欲は点滴が終わるころに一瞬浮かんだが、消滅してそのまま浮上しない、帰宅して暫く横になる。3時間たった。疲労感はある、この状態はナニ?、なに疲労?ストレス?、この間くしゃみ、鼻水が頻発、前回も同じだったな。
 夕食はうどん、ミカン一個、口にははいる、戻す訳でもないのだ、準流動食には対応?。
 トポテシン(カンプト)は、消化管粘膜には影響があるのでその兆候は数カ月前からの嗜好変化、食欲不振と合併して慢性的な不良状態がバックグランドにあることは確かだ。
 外食では「良く食べてる」といわれる、メンタルな面もあるから厄介、家人いわく「つわりみたい」。

2008年12月19日金曜日

低迷する自覚症状、白血球数はノーマルだが点滴はパス


                 (画像はわが団地恒例のイルミネーション、ブレています)

 昨日は点滴予定日、早めに採血、胸部X-rayを実施、結果をみて点滴というのは、おなじみの段取りです。
月末に測る腫瘍マーカーCEAを繰り上げてこの日の採血でラボに出してもらうことにした、来週初めにはトポテシン(カンプト)の成績が数値化される。

 30分位待って、血算値が出て主治医からは「数値(白血球数4490)としては点滴できますが、K(ハンフリーのこと)さんの自覚が不調のようだからどうしますか、胸部X-ray画像も不変状態です」「今日はパスにします」。
 白血球数は下がりっぱなしという自覚(ほんとは判るわけないのだが)は、味覚変化、嗅覚過敏、頻咳・痰継続、呼吸切迫のなか、強かったのである。混然たる低迷はこの3ヵ月くらい続いている。
 この4490という数値は回復してきたのか、下降中なのかよくわからん。
 来週は今年さいごの点滴この時の白血球数が「見物」だ。

 一夜明けて今日の気分は少し明るい、点滴パスのおかげかと思いたくなる。

2008年12月12日金曜日

ポート開通・トポテシン1コース2回目点滴とその後

            (画像は名園「六義園」12月5日の紅葉)

 昨日はトポテシン(カンプト)、1週あけての点滴を受けた。

 白血球数の回復を待って、4610となり実施となった、懸念の酸素飽和度94%。ポートは、腕の末端静脈とちがってナースも「吸い込み」は順調ですといった。
そこまでは良かったのだが、終わったら食欲が消えていた、胃の空腹信号が時間になってもやってこない、アイスと「べこ餅(北海道)」などを機械的に押し込んで寝るとした。

 起床してもあまり意欲が出ていない、別に熱があるわけでもない、普通に朝食をとったが機械的なものであった。味覚が変化してきたのはもう3ヵ月以上になるが、抗がん剤の副作用が強まったのか、なんとも変な状態にある。

 食べたい食材はいくつか用意してあるが、食指が動かぬということ。
 肺腺がん患者にはいろんなことが起きるものだ。

2008年11月30日日曜日

退院後最初の診察28日=「主治医の見解」(この「」の中)



        (画像右下にポートの丸い隆起が見える、コメント最後に詳細)

今月は今日までと、わざわざ言う訳は、発病満2年となったからです。低い生存率の中やっとここまできた。
といってケーキでお祝いでもないだろう、現状を直視して希望を失わず、人々との関わりを大切にして、1日1日をしっかり生きてゆくだけだ。皆様のご支援に心から感謝します。

 前回コメントで患者としての入院までの状況と、してからの事態の一応の検討をした。
今回の診察では主治医D医師の判断を知ることができた。

 ☆在宅酸素(ボンベ)導入について
=「症状から導入を予定していた。肺活量回復は目に見える証拠はない」

 D医師は11日(入院5日目)には導入決定のための動脈血ガス分析(あの痛い採血!)を実施した。実際は測定中になぜか飽和度改善が現れてうれしいことに酸素ボンベは回避された。ただしこの改善の原因は今日の胸部X-ray画像には(残念ながら)材料がなく、肺の「むくみ」がとれたというような「不可視」の動きが肺活量回復を助けたようだとの判断だった。

 ☆抗がん剤の連用による副作用=「骨髄抑制が見られる」

 6日は「ジェムザール」、次週13日、20日と新規「トポテシン(カンプト)」の3連打、これは私も希望したこと。これで副作用は骨髄抑制にキチッと現れた、白血球数は10日11100という高い値から退院前日3170まで下がり続け、今日もまだ3160と低いところにある。最高値の時期はには感染症という判断でステロイドも処方されて、これは効果があった、このころは発熱、下腹部にかゆい発疹、食欲不振などで最悪の時期だった。
 味覚の変化、食欲不振はこのところ継続中。
 点滴は、まだ私の白血球数レベルが低いので回復をまって再開の予定。

 ☆CVポート埋込み(中心静脈直結点滴ライン)手術=「手術後すぐ使えます」

 今回の入院の目的の一つは、両腕の血管がくたびれて点滴ライン確保が難しくなっためポート埋込みは懸案だった。12日そのオペのさなかに「突発事態」があった、左胸上部に麻酔が効き始めてメスが入った「うーーん、組織が硬い、この部位にX-ray当てましたか」との執刀医のご下問、なんで今ごろ聞くの!と思ったが「7月に50Gy照射した」というと「右に変更します」ということになって
麻酔からやり直しとなった。放射線はたんぱく質、筋繊維を固めるのだ、あの頃「放射線ガン細胞は半熟か」という句を書いたが、周辺も同様になっていた。
オペ終了後、直ちにオペ説明をした主治医に「X-ray照射、説明無し」を抗議した、脚のオペでなくて良かったよ。
 オペ直後からでもこのポートは使えるという触れ込みであったが、未使用だ。
 右胸画像では直径3センチくらいの丸い隆起が見える、触感では結構大きく感じる。

2008年11月6日木曜日

点滴から緊急入院へ

 といっても中味はこんなことです。
 朝からジェムザール点滴、白血球数は5000台で良かったのだが、酸素飽和度がレベル以下、在宅酸素をセットするまで1週間の入院をということになった、この間にCVポート埋込(外科手術)も予定している。

 これまでも1週間位のブランクはありましたが、ご挨拶ということで、近くの病院だから抜け出してきてアップしました。

2008年11月2日日曜日

決定打出ず、「血管内治療」には条件が多い

  関西に「TAE(動脈閉塞術)」を肺がんにも適用、保険診療するクリニックがある、という貴重な情報に反応して経過現況レポートと造影CTフィルムを送った。
 私の場合、多発ガンで胸膜転移もあるという現状は、むつかしいとう判断も聞いていたが、イレッサと同じ小さい可能性を信じて相談した。
 フィルムが着いた日に第一報、少し駄目押し質問を呈してそれも2日目に返事が着いた(費用は20000円)。

 結論は、化学療法以外に方法はない、理由は前述の散開した病巣にたいして、動脈から攻めてゆけないのだ。

 咳・痰頻発で着実に悪化している、味覚の変化がとても厄介、背景の食欲刺激因子が少なくなっているのも手伝っている、オイオイだ。

 関東大学対抗戦(ラグビー)で慶応が明治に勝ったくらいでは食欲回復しない。

2008年10月22日水曜日

F医師=この状態では東京まで通院はむり、在宅酸素も使い始めたらどうか

 切り札と考えていたF医師からの宣託は簡単に言うとタイトル通りです。
 胸部X-ray画像は造影CTで視るとよりリアルに病巣を呈示。
 胸水も少し存在、急に増加した場合呼吸切迫が予想されるから、在宅酸素ってことになる。

 その前に抗がん剤のレジメンを決めて治療(点滴)が必要だ、
 手詰まりで東京へ走った訳だが、ブーメラン現象で戻ってきてしまった。

 とりあえずD主治医、E副主治医に相談するしかない。
 ここが正念場だ。

2008年10月20日月曜日

肺野画像「すりガラス状態」進行=最悪の事態

 ナベルビンの効果確認も含めて診察。

 画像は最悪状態にある、呼吸の余裕が無くなっている。もう少しゆけば酸素ボンベがお供についてくるのか? 
 酸素飽和度は先週14日点滴時点で見たことない低レベルだった。

 白血球数は3000後半までダウン、このパターンは頻出(かっては2000ギリギリにも)、CRPは、Hレベル 4.6に戻った。

 アリムタは肺腺がんに健保適用がないから、強行採用するととんでもない事態が起こるので今回は見送りとする。

 22日は東京のガン専門医の診察を受ける。

2008年10月16日木曜日

画像悪化の中ナベルビン8コース終わる

14日、点滴直前の血算値は白血球数7000と約1000下がったがこのレベルではノープロブレム、なぜかCRP値が0.1と5.6辺りからシッカリ正常化、点滴開始。

 このところ画像はまったく良くない、関連している咳・痰はしつこく続いている。22日造影CTの予定。
 咳対策として服用中の「リン酸コデイン1%(2g)」で見事に3日間便秘、14日は朝からトイレで固形物と格闘、自己剔便初体験、これでぐったりだ。

 点滴終了後、副主治医からアリムタ状況を聞く、判っていたが肺腺がんには保険適用なしが壁だ。厚労省も一般的に新薬承認促進をいっているが、それを実行する「医薬品医療機器総合機構(PMDA,独立行政法人)」のスタッフは先進国中最低の約200人、アメリカの1/10以下、ドイツの1/5以下だ。
 いつになることやら、効果が出ているという情報(アメリカ承認済)が聞こえてくるだけにやるせない思いである。

2008年10月9日木曜日

ナベルビン点滴再開の効果は


 7日午前は、副主治医とアリムタ投薬可能な病院の絞り込み。そして読影結果はよくない「小さい腫瘍の増加がある(3日の画像、向って左下よりの脊柱側白い部分が大きくなった)」という見立て。study2007さんが心配してくれたしつこい咳・痰の原因は「{画像の白い部分の}腫瘍が細い気管支を刺激しているのだろう」、腫瘍マーカーは、9月一旦下がったが8月の最悪レベルへ再帰、いずれも休薬による肺がん症状の進行(医者はこうは言わないが、物証が明らか)である。
 午後は点滴再開、月初から稼働開始した点滴室(リクライニング・チェア2基)、1日4人定員だが20人目以下か、輸液ポンプも当然新設、ナースもまだ慣れていない。
これまでは救急外来のベッドという「危険な環境」だったから改善といえる措置だ。

2008年10月3日金曜日

胸部X-ray画像は明らかに悪化


  今日は主治医の定例診察日、採血、胸部X-ray、採血結果が出たところで即診察とはゆかず30分待ちで診察室入り、D医師画像を見るなり「進行してますね」、これはきつい評価だ。
ここ約2ヵ月アリムタ待ちで休薬状態だった、中間ではホームドクターが腫瘍マーカーCEAを検査してしてくれて数値はなぜか改善(前回ブログ「やれやれ腫瘍マーカー下がる」)で悪化への懸念を消そうとしていたのだが、画像は逆に「進行してます」とショッキングな状況となった。

 新薬アリムタ導入はいまは出発点まで戻ってしまったようだ、なにも手を打たないわけにもゆかずつなぎ的に「ナベルビン」点滴を来週7日、来来週14日を決めた。ナベルビンは7回続けて最後には腫瘍マーカーが上がり始めて中止という経過をもっているが、これまでの抗がん剤、分子標的剤のなかでは一番有効だった。過去のエースがどれだけ力投してくれるか?

 昨夜は3才年長の友人から「ガン検診、胸部X-ray」の画像に影らしものがでたので喀痰検査をするという状況で、地域周辺のドクター事情を尋ねられた。まだ初期のようだからうまく運ぶことを願うのみだ、「CT検査では、なんでもない影だった」がベストなのだが。

[ 最後の画像は佐藤 忠良「女・夏」、札幌芸術の森・野外展示シリーズ23 ]

2008年9月26日金曜日

やれやれCEAマーカー下がる


  

 ホームドクターへ薬を貰いに行ったら先週の採血結果が出ていた。
 上昇(=悪化)覚悟していたらなんとダウン、(8月1日)24.7、(9月1日)37.0と増勢にあったものが(9月19日)27.6と下がった。休薬状態であったから多少の上昇は覚悟していたが、まあ不幸中の小幸か、白血球は良好、CRPはこのところやや高目(咳・痰の炎症反応?)、いつもの病院では診ない血糖値やや高い112、悪玉コレステロールやや高い146、善玉コレステロールやや低い35というおまけが付いてきた。
 期待のアリムタは新薬の「デリケートな状態」の反映してか、主治医は製薬会社の返事待ちである。
    (画像は「コタンクルカムイの詩」米坂ヒデノリ作/札幌芸術の森・野外展示シリーズ-22)

2008年9月4日木曜日

ゲッ!CEAマーカー最悪の37.0、おまけに風邪、発熱だ


 3日、風邪、発熱やむを得ず受診、いつものD医師は予約以外空きがないので初めての
G医師、薬局でわかったのだが解熱剤が処方されてなかった(オイオイ)。

 診察を待っている間に偶然腫瘍マーカーの結果がわかった、37.0は8月初めの24.7にくらべれば12.3の悪化、この伸びはかってない値である。8月は月初のマーカー値が微減したので、次期抗がん剤の模索中もあって、ナベルビンは投与なし、今日の結果は、7月まではナベルビンに抑制力があって、8月に入ってそれが飽和してしまったのか?
5日のD医師の診察でアリムタの治療可能な病院を決めること必要だ。

 前回は小康とレポートしたが、おとなしい腫瘍?もやるときはやってくれる。
 心が安まる時はない。

 ずーっと寝ていて風邪は薬が効いてきたようで今は夜中の2時。


(画像上は「ウィグ」清水 久兵衛作/札幌芸術の森・野外展示-20)

2008年8月21日木曜日

大健闘のわが肺臓/リンパ節、骨格画像大公開


 









息子の夏休みに付合ったりでご無沙汰しました。

 19日は朝からB病院、副主治医の診察、その足でD病院X-ray照射の結果をみる造影CT撮影、直後に担当のG医師による画像評価、20日は主治医との定期診察。

 この2日間を要約すると、副主治医が造影CTの画像を読影する必要があり、それは26日とした、主治医は次の抗がん剤選定を副主治医に頼っているので26日の評価を経ないと進まない、
ただし26日の週は主治医の夏休み(で9月1日に診察予約)という準夏休み的な進行となった。
 19日のG医師による画像評価では左頚部の腫れが全体に収まって(上左の腫瘍部のCT画像)、その証拠は画像上からも見取れた(画像は左右の肩口を結んだ水平面、真ん中に頚椎その右下辺りの状況が好転)。このところ鎮痛剤も止めている、体感では、左を下にして寝ると出ていた疼痛、圧迫感もなくなった。対症療法としては成功といえる結果だ。
20日に行った採血、胸部X-rayでは異常なし、白血球数は4920まで回復。
 主治医はこの辺りを「悪化の指標はみられない」と判断したのだろう(売れっ子の主治医だから夏休みも必要だ、当然9月1日の予約はクレイジー状況になっている)。

 肺腺がん発覚の当初の転移以外に転移は発生せず(上右の骨格のRI画像、腹=左、背=右両面から)、腫瘍マーカーCEAも暴れず1年9ヵ月が経過した、私の肺臓に大健闘と言ってやりたい。

 次期抗がん剤「アリムタ」は承認の状況から、このB医院では扱えないのでC病院(昨年1〜3月入院)のC医師に頼るといった具体策も検討中だ。

2008年8月7日木曜日

真夏の「踊り場」


 6日は、主治医D医師の定期診察、放射線担当F医師の報告書を持参した。
 白血球値は約2800で回復中、期待の腫瘍マーカーCEAは24.7と1.0下がった、好転?横ばい?、X-ray照射がナベルビンの効果を引き出してくれたのか?いずれにしても歓迎したい(^0^)傾向である。

 お盆明け19日に副主治医E医師と次の抗がん剤の決定、その足で放射線治療のE病院で結果を診るべくF医師の造影CT撮影、評価、20日には主治医D医師と抗がん剤投与の実施日程をきめる。

 世間は夏休みシーズン、わたしら年金夫婦に夏休みもいかがか?であるが、長男夫妻が珍しく三重へ祖父母の墓参するというので付き合って、お盆ピーク期に帰省する予定である。

 放射線治療も終わって、この2週間ほどは踊り場モード、このさきの下り階段の勾配はきついかゆるいか、心配したらきりがない、田舎の海の風に吹かれて、良いイメージを持ち帰ってこよう。
      (画像上は「走行世界」TIEN ZIN ZU-中国作/札幌芸術の森・野外展示-19)

2008年8月4日月曜日

放射線治療終了


 
 X-ray(tot 50Gy)照射は今日で予定量の25回が終わった。上の画像(左胸上部)の枠の中へ1回に前面1Gy、同じ面積で背中から1Gy、これは「非対向2門照射」というそうです。
 副作用についてはstudy2007さんから怖い情報も入っていたが無事のようだ。
 これでごしごし洗い流せると思いきや「軽いやけどになっているからやさしくあつかうこと」とのこと。
 現実はこんなものなのだ。

 内部の状態は、2週間後に造影CTで診る、肝心の疼痛は、連用中の鎮痛剤をやめて自覚を確かめるしかない、(気分的には)軽減?これも数日かかる。
 暑さは湿度を伴って堪え難い状況だ、千葉市・午後4時で32℃湿度66%。
 
 (特別公開画像、上は「最終日・X-ray照射野マーキング」本人撮影)

2008年7月22日火曜日

放射線治療の副作用


 
 X-ray(2Gy/day)照射は16回目になる。
 担当医から「湿布の接着剤が肌に残っているとX-rayの作用で皮膚にダメージを与えることがあるから、照射野には貼らないように、そろそろ肌に副作用が出る頃でもある」という指示だ。

 湿布を貼ると、痛みが軽減するので「こりゃいいや」と思っていたところだったので「ウーム」です。

 今日の暑さは湿度をつれて来ているので堪え難い状況だ、千葉市・午後4時で32℃湿度64%。
 皆さんもご自愛下さい。

 (画像上は「隠された庭への道-円錐」ダニ・カラヴァン(イスラエル)作/札幌芸術の森・野外展示紹介-18)