
(画像右下にポートの丸い隆起が見える、コメント最後に詳細)
今月は今日までと、わざわざ言う訳は、発病満2年となったからです。低い生存率の中やっとここまできた。
といってケーキでお祝いでもないだろう、現状を直視して希望を失わず、人々との関わりを大切にして、1日1日をしっかり生きてゆくだけだ。皆様のご支援に心から感謝します。
前回コメントで患者としての入院までの状況と、してからの事態の一応の検討をした。
今回の診察では主治医D医師の判断を知ることができた。
☆在宅酸素(ボンベ)導入について
=「症状から導入を予定していた。肺活量回復は目に見える証拠はない」
D医師は11日(入院5日目)には導入決定のための動脈血ガス分析(あの痛い採血!)を実施した。実際は測定中になぜか飽和度改善が現れてうれしいことに酸素ボンベは回避された。ただしこの改善の原因は今日の胸部X-ray画像には(残念ながら)材料がなく、肺の「むくみ」がとれたというような「不可視」の動きが肺活量回復を助けたようだとの判断だった。
☆抗がん剤の連用による副作用=「骨髄抑制が見られる」
6日は「ジェムザール」、次週13日、20日と新規「トポテシン(カンプト)」の3連打、これは私も希望したこと。これで副作用は骨髄抑制にキチッと現れた、白血球数は10日11100という高い値から退院前日3170まで下がり続け、今日もまだ3160と低いところにある。最高値の時期はには感染症という判断でステロイドも処方されて、これは効果があった、このころは発熱、下腹部にかゆい発疹、食欲不振などで最悪の時期だった。
味覚の変化、食欲不振はこのところ継続中。
点滴は、まだ私の白血球数レベルが低いので回復をまって再開の予定。
☆CVポート埋込み(中心静脈直結点滴ライン)手術=「手術後すぐ使えます」
今回の入院の目的の一つは、両腕の血管がくたびれて点滴ライン確保が難しくなっためポート埋込みは懸案だった。12日そのオペのさなかに「突発事態」があった、左胸上部に麻酔が効き始めてメスが入った「うーーん、組織が硬い、この部位にX-ray当てましたか」との執刀医のご下問、なんで今ごろ聞くの!と思ったが「7月に50Gy照射した」というと「右に変更します」ということになって
麻酔からやり直しとなった。放射線はたんぱく質、筋繊維を固めるのだ、あの頃「放射線ガン細胞は半熟か」という句を書いたが、周辺も同様になっていた。
オペ終了後、直ちにオペ説明をした主治医に「X-ray照射、説明無し」を抗議した、脚のオペでなくて良かったよ。
オペ直後からでもこのポートは使えるという触れ込みであったが、未使用だ。
右胸画像では直径3センチくらいの丸い隆起が見える、触感では結構大きく感じる。