2007年5月30日水曜日

松岡農水大臣の死

 現代日本に残る封建遺制、詰腹思想は今も活きている。自分の後援会組織維持だけではない広がりをもっている大きな金の流れの存在、ばれたら言逃れできない事態。最高権力者は庇うふりをして、結局追詰めていったのだ。人間としての主体性、誇りはどこかへ消えて自死を選ぶ、これで何が守られたんだろう。
国民の皆様はこんなことを求めてはいない、なにが明らかになったというのだ。今の政治状況のひどさの象徴と受止めた。

2007年5月29日火曜日

面積比150%あっぷ

 intel Mac miniやっとセットアップ、ディスプレイ面積改善、自社比?150%アップ。
ワイドって画面は、左右を無理に引き伸したって印象、大画面テレビもそうゆう表示もある。本体は小さく、機能はアップなのだろうが、それほどヘビーユーザーじゃないからぼちぼちと慣れてゆく、アプリの対応アップデート版も買わないといけいなし、当面は旧機と平行使用だ。
 今日で薬が終って2週間服用休止。

イレッサ適応検査/EGFR遺伝子のつづき

 遺伝子検査のため、検体パラフィン・ブロックを検査機関に送ったという連絡があった。
時間は10日から2週間、費用は4万円、保険適用かどうかがイマイチ不明、患者は金額をみて「やめます」とはいえない。
キャフレのtamyさんの場合、4年前に、主治医がこの検査で確認してからイレッサ投与をすすめられた、といっている。こういう格差に満ちているのがガン治療の実態なのかと思う。(この項28日分)

2007年5月27日日曜日

イレッサ適応検査/EGFR遺伝子

 自覚というかリンパ節のしこりに気付いた昨年12月に、リンパ節生検で肺腺ガンが発覚、その検査所には分身がパラフィン処理保存されている。それを使ってEGFR遺伝子の変異をしらべて、反応があればイレッサ使用可能ということになるらしい。ただこの検査、2006.6月保険適用になったらしいことや、可能な検査機関の所在など含めて情報は十分ではない。
 主治医からは「イレッサは適合すれば劇的に効果がでるから、(私の)今の状況はまだ少しの余裕がある」という判断を告げられている。しかし、今かかっている病院はこの検査に対応していない(なぜだ!?)。

2007年5月26日土曜日

病院にショートスティしていたホームレス

 鎌田實医師の「それでもやっぱりがんばらない」を読んでいる。途中だが、おもしろいエピソード、なんとS中央病院にホームレスが2人も住み着いて、お風呂まで入ったりして完備された住環境を活用していたというお話、目をつけたホームレスも炯眼だが、こんなすきのある病院って今どき珍しい、ほのぼのトーンを感じた、「患者さん」を「患者さま」に呼び変えれば良いといったレベルとは無縁の良い姿勢を感じる、両氏は説得に応じて素直に退去したそうです。スティ期間は不詳。

 今日は1月入院中に、弱り目になった目を診てもらいに行った、月曜に予診程度のことをしてあったが、もう視力が変動している、一月おいて再検眼を、緑内障もいよいよお出ましの様子、目薬でる、これが点眼手順煩雑なんだなーー。

 古稀という節目をつくづく感じました。

2007年5月25日金曜日

さいきん褒められた?

 といっても、歯医者のはなし、歯石除去のため3ヵ月ごとに通っていたが、昨年12月以来のガン罹病以来半年行けなかった。いつもは28歯健在で、ブラッシングもそこそこOKと褒めてくれる。今回は病気ということもあって、ポケットの深さが全般的に1ミリ深くなっていたから褒めてはくれなかった。歯垢の染色はまあまあで、歯の合せ目を丁寧に磨いてください、ということで8月の予約をいれた。
 人は褒められると元気になることはわかっている。そんな簡単なことでも他人に対して出来ないことがしばしばである。

2007年5月24日木曜日

TS1、2週服用の中日23日シスプラチン点滴入院

 これが3コース目、前回の胸部レントゲンは大異変でもなければ、気休め程度だとDr.患者両者変な一致のうえ見るだけみた、当然ながらなにもない。4週後の今回は造影CT、血液検査(CEAマーカー含む)を総合して面談、画像からの評価は領域(面積?)50%の変化を改善というから、それでいえば±0か、のこる数値面は悪い傾向が出ている。「加速している車(腺がん)を止めるのは容易ではない(Dr.いわく)」、分子標的剤「イレッサ」が浮かび上る、遺伝子でイレッサ適合をみる準備を始める(新薬紹介、投与に積極的な千葉の今村貴樹医師のサイトもよくみる必要があるようだ)、こんな具合であまり明るい気持にはなれず、帰宅。(22.23.24日分とします)

2007年5月22日火曜日

ドリップとは点滴のこと

 [肺ガンのエーーーーッ:my cancer history-2]
点滴、ドリップ。
そうコーヒーがフィルタから滴りおちるように抗がん剤溶液も時間をかけて静脈経由で体内にはいる、もう皆さんおなじみの常識的な方法だ。1月入院の目的は抗がん剤治療24時間点滴を1週間と聞かされたときはマジ焦った、寝てるときはどうなる。ナースNs.に、左腕だから薬液バッグも左側で、チューブが体を横切らないようなベッド位置にしてくれーーー、こんなことはやってみたら大した事なく、眠ることはできた、長時間点滴なぞやったことがなかっただけに心が騒いだのでした。
本当の問題点は、「(点滴)ライン確保」二の腕の半分よりやや下部へ、プラスチックの3センチ位の細いチューブを刺入する、これは医師Dr.の仕事、病棟の9時過ぎはつぎからつぎへとライン確保が行われる、採血の上手下手があるように血管が出にくい人に、上手でないDr.が当った場合3度目に成功、つぎは別のDr.に頼みたいわってなことになる。
一度確保されるとどれだけ継続使用できるか、賞味期限(3日?)説もあるが、最初の確保の位置(血管に対する刺入角度)、固定テープの貼りかたで、全く違ってくる。大事なのがNs.がやる固定テープの処理、しっかり固定したいばかりに強めに押付けられると血管内の細いチューブが血管内で浮きあがり、違和感どころか痛みや出血が、3日どころの話じゃない、即リセット、わたしは固定したNs.の名前をテープに記入したりした。上手に確保された場合、3日以上も使われているのも見かけた。刺入チューブに続く左右に足の出ているプラスチックの部分との位置関係が問題であって、これはNs.の腕次第、ここのバランスが悪いと血が滲み出したりする、いつもそうなるわけではないが、患者も固定がキツイよとか最初に注文つけないと後で泣く事となる。点滴回数が多くなると刺入ポイントがなくなってくる、腕の長い人は絶対距離が長いから有利だねー、短足、短腕の身の嘆きです。(21日分)

2007年5月21日月曜日

ド リ ア ン い か が

タイ旅行のおり予てより、心を寄せていたコイツに会った、一口分の出会いだったが、かって味わったことのない食感、クリーム・チーズに甘めのフレッシュクリームをあわせて、独特の薫り付けをしたといっても、そんなものと思われるだけかもしれない。外殻の強面ぶりと、くさや系の香りは容易に人を近づけない。
これが千葉でもエスニック・フードのセールの目玉で出た、年に一二度ならと納得させて形は丸いもの、もって重めと目利して買ってきた。
2日待って、さかんに香りたつトゲのある厚皮を、軍手でいなしながら解体、タイミングはグーー!みかんの子房状、象牙色の塊が4つほど、丼一杯の果肉をとりだした。
しばらく南国からのうれしい贈物を楽しめるわけだ。(20日分)
 

2007年5月20日日曜日

い・ま・ご・ろintel Mac mini購入

 19日、半年+ぶりに秋葉原へ、ヨドバシ新館?ができて行ったのは昨年の秋か。UDX,ダイビルなんて工事中だったのじゃなかったっけ。
 
 Mac 購入はLC630以来4台目いずれも新発売から1年以上、次期商品が出てからの買出動となる、不思議なジンクスがあって過去の販売店はいまはみんなない、今度の店がそんなことにならないよう願うのみ。ここを決める前にヤフオク2晩ほどつきあって〆直前のバトルを味わったが、巻込まれずめでたく今日のショップを発見、ヤフオクよりきちんと安かった。
 お昼はヨドバシ8階のフード・コートで中華、料理の温度が不安定、ぬるい豚まん、さめかけのギョウザはいただけない。ホントは中御徒町かくれた名店、B級の誇り「民華」へ行きたかった。(19日分)

2007年5月18日金曜日

下肢の軽い疲労感やはり副作用か

昨日より下肢への負荷がかかる感じがする、痛感などはない。赤血球中のヘモグロビンの漸減の表現なのだろうか。
退院を待って指標の白血球数の回復を待っていたときの会話、DR.に「白血球の増加を自覚することってありませんか(採血以外に知る方法ってないのか)」という愚問を呈して「それはありませんね」と賢答されたことがあった。なかなか戻らず足留されている患者は珍しくない。

2007年5月17日木曜日

TS1副作用はあるかなきか

昨日の下肢の疲労感は持越さなかった。
妻の親友が大腸ガンを告白、今日がオペらしい、その友からお見舞に「レ○ピ○」なる栄養剤を貰ってきた。

数日前映画「ナビイの恋」やっとみる事ができた、99年製作だから、もう一昔半(今は5年を一昔という、誰が決めたか?)前だ。粟国島オールロケ、現地録音という「手作り風」な大人のロマンチック・ミュージカル、まじめな人からはひんしゅくを買いそうだが、心の持ちようの広いひとや、純真な心の持主には共鳴を呼ぶ(変な表現?)作品。
ミュージシャンが垂涎のメンバー、中でも長老役の嘉手苅林昌さんは出色、そこに居るだけでよいといった存在、映画の公開を待たずに99年10月逝去された。アイリッシュのフィドル弾きのアシュレイ・マックアイザック(知らない人だったが)の弾き踊りも予想外で、心に残る私の名画となった。 
 

2007年5月16日水曜日

TS1在宅4週間コースの3回目開始

 在宅化学療法(4週間単位の3回目)今朝から再開、すぐに下肢に疲労感が出てくる、ただしこれは副作用とは言い切れない事情もある、経過をみましょう。
「フルルkansai」へメンバー登録して「癌ばれ日記」のみんくるさんへ同病連帯のご挨拶、数日前からTS1服用中、彼女はイレッサからTS1に変更とのこと。
日経BP筋の情報は、イレッサは患者の条件(事前に検査できる)次第では非常に高い回復を示すと報告。
[肺ガンのエーーーーッ:my cancer history-1]
肺ガンの初期はさまざま、自覚症状がないのも特徴、なにをあやしいと感じるのか、そんなヒントになるか、経過を追ってみることとする。「拝顔の栄」というがこいつには「拝顔」したくなかった。
06.12月1日、首筋左耳の下鎖骨の3cmほど上にリンパ節らしいしこりA 1 cmほどを触感、気になる。翌2日ホーム・ドクターYさん受診、大きい病院で調べることという指示がでる。4日M診療所のK医師に持込む、まず結核の疑いで胸部レントゲン撮影、生検のためのオペを予約。6日画像からはなにもでないねとK医師、(じつは非常にうすいガン病巣の影が出ていたのだが、見落しというにはうすい影だった、後日の造影CTとみくらべれば「これかーーっ」となった)、生検のオペ、病理検査へ、この時点では「シロ」でありました。

2007年5月15日火曜日

帯広「みすず」ラーメンは北海道大物産展

ラーメンは好きだが、住いの近くにはいちおしがない。新検見川、花園「煮干らーめん」っていえばおわかり、へはついでを作って出かける。
帯広「みすず」は新聞折込みチラシで、チャーシューはみ出しの写真にほだされて、11時半にSデパート6階へ、ほぼ満席時間的に中年女性圧倒的、みなさん残すかたが多い、飽食現象。チャーシューたっぷり最後まで残っていた、手抜きのない味、盛付け、量もたっぷり。もう一度醤油味に挑戦したい、今回は味噌(って味のパターンがあるみたい)でした。

google: blogger「tamyのつぶやき」にコメントされたHさんに連帯のあいさつを送った。理解出来ないものが恐いのは当然。
肝心の治療は明日から、TS120mgを朝夕服用2週間続けて、真ん中でシスプラチン点滴入院、今回は期待の造影CTもとる。

療友?キャフレ?(キャンサフレンド@_@)から

mittieさん、明日からTS1再開ってメール、私は一日遅れ同じ薬を再
開、副作用は個人別発現だけにその実情を知って自分のそれを客観的に位
置づけたい。病院では薬剤師が丁寧に説明に来てくれるが、「患者様」個
人での発現までは占ってくれない、ある意味では不安の説明になる、患者
も予備知識を仕入れてその一般論を自分用の副作用に仕立て直し正当化?
あきらめ?るわけだ。それにしても個別化の世界だ。

 1月偶然隣の病室で出会ったIさん、4月にも再入院していた、5月1日
急逝された、病院は高い確率で死と出会うところだが知人の場合確率論
ではなくなってしまう、ご冥福を祈るのみ。(以上5月14日分)

2007年5月13日日曜日

ガン紹介

私の肺ガンは、非小細胞ガン(NSCC)の腺ガン,原発2〜3ヶ所、肺野に播種広い、頚部リンパ、縦隔転移で4期、化学療法のみ、06.12発覚。

1月に、点滴集中9週の入院、タキソテール、シスプラチン、見事に脱毛。その後は自宅でTS1内服2週、その中日にシスプラチン点滴入院、2週は休薬期間。この4週を繰返してゆく。中止の判断は造影CTの結果と副作用の白血球数の低下。


07.5.13 

2007年5月12日土曜日

世界をひろげる−肺腺ガンになって

 肺腺ガンになってみると想像もしなかった世界があった。
世界をひろげる、いや広げざるを得ないという方が正しい。

 ブログ始めのコメント、07.5.12 ハンフリー