2007年10月29日月曜日

県がんセンター、公開セミナー27日

 がん患者は勉強しなければ新しい治療の機会を逃す、それに日本のDr,は忙しすぎる、自分で情報を取りに出かけなければならない。
 つれあいと出かけた、会場は切実な状況を反映して大雨の中にもかかわらずほぼ満員(400人定員)という状態。
「がん対策基本法」の制定初年ということもあってか、東京、千葉エリアでもこのところ月2回くらい開かれている。
 主催は千葉県がんセンター、テーマは「抗がん剤治療」、この分野の歴史は患者にとっての有効性という面ではまだまだ新しい、1995年に大きな方針(レジメン)が作られて年々改善・進化が進んできている、新薬開発も進んでいるが、多くの手順と莫大な投資額は一個人の感覚では捕まえようがない。自分にとってどう有効かという意味で体験からいえば、分子標的薬「イレッサ」の適合する患者タイプが特定されるようになり、その1つの「EGFR遺伝子の検査」が保険適用になったのはほんの数ヶ月前だったし、期待の分子標的薬「タルセバ」は間もなく承認というまさに「走りながら」という日々の進歩?遅さ?も改めて認識することになった。新薬開発の手順と投資額を聞くと「医療の発展」と患者の個人的な感覚の乖離を感じてしまう。ただ難病というあきらめ、おちこみの世界に気分が向ってしまうこともありうる。資本としての巨大製薬会社の行動原理は、ただ患者のためだけではない場合もあるようだ。

 抗がん剤治療はこれからますます重要性と有効性が高まってゆくことは間違いないが、その進展の具体化が患者、家族に十分活用できるように公開されてゆくのためにやらねばならないことは多い。ナースにとっても専門性が求められており「がん化学療法認定看護師」という頼もしい資格制度もできていることも紹介された、これは嬉しい情報であった。以上前半。

 後半のレクチャーは「消化器」「肺」「泌尿器」各がんについては各15分(+質疑10分)の枠で、講師もやりにくかったのではないか。「肺」だけ聞いたのだが、一般的な前提で時間切れだった。いつも勝手な印象中心のレポートで恐縮です。

2007年10月23日火曜日

胸部X-ray画像不変、22日

 主治医MH医師はこの病院でいま多忙ベスト3に入るのではないか。
 採血(穿刺するも血管に当たらず1回目は失敗、私の静脈は喜ぶナースが多いのに)、胸部X-rayを終えてから昼食をとり予約時間に合わせて待つも、30分遅れで受診、胸部X-rayに異常はないが、白血球は2900へおちて来週にかけてさらに減少するのがパターンのようだ。頚部リンパ節も肥大気味、便秘気味、かゆい発疹も少々、これで効いているのかねー。
阪大のWT1たんぱくの検査用に採血(1cc)、これまでで2時間半(07.10.22)。

2007年10月20日土曜日

企業コンプライアンス;赤福の場合

 全国でお菓子の土産物の売り上げNO.1とか聞いていた赤福、三重県人としては格好の土産物であって、県人であっても自家用に買うことがあるくらい「内外」に親しまれた、強いブランドの和菓子であった。企業としても県の顔のような存在であった、ただ地元では、伊勢内宮の本店の赤福と工場製赤福とはレシピが違うということは流布され信じられていたように思う。
 ある時期まではまでは店頭で売り切れもあって、事前に買っておかないとという「心配」もあったように記憶する(何年前かは定かではない、販売地域の限定はあるようだし、短い賞味期限であるから当然のことだった)。
 その後そんな心配は不要になった。量販体制ができ上がったのだろう(これがニュースでも出てきた30年まえのことか、当時社長は現会長、現伊勢商工会議所会頭)、生産量に比例して当然売れ残りは増える、問題の「まき直し(再包装)」もシステム化されたのではないか。表面的には返品対策として別の商品開発があって、「これが変身した赤福か」といいながら煎餅を食べた記憶がある。業界に多少知識のある人なら、これが返品対策として十分補完的なものではないことが判ったいたのだろうが、素人はそこまで考えない、大きな黒い「穴」そこにはあって、その穴埋めシステムも出来ていたのだ。確信犯的な行為といえる。言い換えれば、いつでも買える不確かな商品になった。
 賞味期限が短いことを品質保証に結びつけて、メリットとして位置づけるべきではなかったか? 三重出身のものとしてほんとうに残念な事態である。
 ご愛顧にこたえるという姿勢(生産規模拡大、利潤追求)と、企業としての矜恃(品質確保、社会的責任の自覚)のジレンマは走り続けている企業にとって古くからの課題といえるが、そこにコンプライアンスの意味があるのだろう。神の見えざる手はいまや縛られている。確かに大衆の欲望は無責任で刹那的なのだ、これも自明なこと。残念ながら赤福の実態は、先行して暴露された肉加工、チョコレート菓子、洋菓子の偽装企業群に早くから仲間入りしていたのだ。
 関西には「おできと商売は大きくなるとつぶれる」という至言がある。
 
 

2007年10月19日金曜日

発熱再現はやっぱり副作用ージェムザール2回目

 先月1回目も3日目に、今回も3日目に、MAX38.2℃の発熱があった、ピークは6時間くらい。これまでの抗がん剤は副作用だけ出て明らかな抑制効果はなかった、
 ジェムザールは抑制効果がありそうで次回の診察が期待される。当然白血球も減少しているのだろうが、こちらは自覚なしだから採血結果をみるしかない。鼻風邪気味が取れないのも白血球減少に関係あるのかなー。
 いろいろ妄想が出てくるが、くよくよしないで過ごすしかない。

2007年10月16日火曜日

確実に拡大は進んだが-効くかジェムザール

 今日は放射線の専門家であるMM医師の診察をうけた。
 もうすぐ発病1年になる。振り返ってみると、12月に自覚したリンパ節の異変は、原発から頚部リンパ腺経由で肺野に侵出し始めるその時期だったようだ、この時期肺野の播種はまだ見られない、きれいな画像だった。年が変わってからの胸部レントゲン画像を比較するとまるで様子が違う、かなりの部分に播種の小さい星が見られるようになった。
この9ヶ月間4種類の抗がん剤を使ってきたが、腫瘍マーカーCEA値は5〜6倍まで上がり続けた、5番目のジェムザールでやっと上昇ペースが鈍くなった、今は画僧の変化も微少、撮影時に息を吸って膨張した肺臓の形状は、軟体であるゆえに毎回微妙に違うとのこと、何となく判る気がする。mmレベルの小さい播種は、比較しにくい。
 今日ジェムザール2回目の点滴を受けて来週も採血、胸部レントゲンを予約、このところの定番コースとなる。
 ジェムザールの副作用は1回目に骨髄抑制と発熱を体験、今回はどう出てくるか。

2007年10月14日日曜日

道に迷ったらもとの道に戻るのが・・・

 「沖縄戦自決軍関与」「議員後援会の会計処理」「社保庁」をめぐっての対応は道に迷っているのに、迷った認識がなくまだ右だ左と進もうとしているという印象が強い。道に迷ったらもとの道にもどるのが解決の方法ではないのか。
 「沖縄戦自決軍関与」「議員後援会の会計処理」は対応が問題解決へストレートに向わずに、混乱を増幅させているとしか思えない、特に前者は文科省の暴走がハッキリしたのだから、まずそれ以前の状態に戻してみればよい、根拠にした文献からの引用は著者も怒る勝手なものだし、旧軍人が告訴しただけで軍関与の否定ヲいうだから、文科省はいつから裁判長になったのか、司法の独立もなにもない、この告訴はマッチポンプの匂いが濃い、よくきく「訴状をみていないからコメントできない」というのが文科省のコメントなまだしも、今回はどうも「訴状は文科省が協力した」のじゃないのかって言いたくなる。
 「議員後援会の会計処理」も領収書1円以上としたら事務処理が増えるのは当然、なんたらかんたら糊塗せずにでこんなに悪用されるザル法といわれる「政治資金規制法」、破れざるの目からこぼれたものは、その笊にもどしてもまたこぼれる。制度自体に欠陥があるのは自明(国民には)なのだから、思い切って原点、出発点までもどらないことには自民。民社両党で灰色壁塗り作業をやるほど、国民は「嫌気」がさしてくる(この「嫌気」にも問題はあるのだが)。
 「社保庁」では掛け声、空手形連発でいまだに不完全管理、つまみ食い自由という印象は続いている、国民生活の根幹となるますます重要性を増す年金制度や国民健康保険制度、ムーア監督の「SICKO」を見るとイギリス、フランスでは包括的に患者負担なしの健保制度が発達した資本主義国に存在し、機能している、イギリスではサッチャー革命をへても健在している。フランスでは政府が国民を怖がっている、そこまで日本の国民は成長できるのだろうか。 

2007年10月10日水曜日

腫瘍マーカー微増、臨床実験参加も手続き進行

 ここのところ毎週診察(採血、胸部レントゲン)、今日は前回採血の腫瘍CEAマーカー値も判った、ひと月前の12.3が12.8に微増した、やや勢いは弱くなったか、白血球も4980(1週前4960)で安定、胸部レントゲンも大きな変化はない、右首のリンパ節(2)、私はこれを「体感マーカー」と名付けている、目視でも判るほど肥大があり体感もある、うっとうしいヤツだ。
 そこで結論は、準備してきた実験参加の申し込み書は発送する、来週16日はジェムザール点滴ということになった。阪大臨床はまず2つのハードルがあってそれをクリアしないと受けられない、その検査の準備が始っている。申し込み書類の郵送代は患者負担。

2007年10月8日月曜日

マンション管理組合活動の壁

 公団型中層5階建ての4階に住んでいる、階段室の左右に部屋があるタイプだ。
 いまライフライン関係の全戸対象の半年近くかかる大規模工事が行われている、全戸内に工事が入って専有部分解体、配管新設工事、復旧という書けば簡単、当事者は大騒動の工事である。私のような病人、独居(日中だけの場合も)高齢者、障害者と健常ではない状況への対応は当然必要なのだが、今回の工事は残念ながら予想される障害にたいして予測と準備が不足しており、30%位進行した中でさまざまなトラブルが発生している。 
 多くを書いても理解していただけない性質の問題であるが、一般化すれば管理組合。理事会(一年任期型)の運営の難しさ、そこに活動レベルのデコボコがあるのは自明であり、その壁をどう克服して継続性を保ち、レベルアップしてゆくか、組織の「原点問題」での合意形成、実効のある対応が必要性が今さらながら浮上してきている。

2007年10月2日火曜日

私の未来は?間もなく発がん?周年、発見1周年、生存率は100%だ?

 昨年12月に肺腺がん発覚、そのときすでに病期(stage)はIVであり、がんの発生期はさかのぼること10年(独断)近いのではないか。
 stageIVを起点にしたら間もなく1周年を迎える、お祝いはする気にはなれないが、生きている。
 stageのほかに体の活動の程度を表す指標もあってPS=Performance Status、いまの日本でいえば介護度のようなもの?うまい訳語はないようだ。日常生活上の制約はなにもないのを0ゼロレベルとして(4は自分で自分のことができないレベル)、DR.の判断は0レベル、本人自覚でもおなじ、特に他人様からは「通常視」されて、最近では「良くなったようね」と根拠のない励ましも頂いている。
 stageIVは、転移が他臓器(リンパ節、縦隔)にあって、肺野に播種も見られる。a.外科手術、b.放射線治療の対象ではない。c.化学療法(抗がん剤)のみということになる(これらa.b.cが3大療法)。
 受けた抗がん剤療法は、2種の2剤併用のレジメンを合わせて7コース(18週)、分子標的剤を25日間、単剤点滴をはじめて3週になる、この間の成果?は腫瘍CEAマーカーが着実に増加(=悪化)である。自覚ではPSはほとんど変わらずだから、一筋縄ではゆかないがんの世界である。
 上記の3大療法はあるが、1つしか使えない私の場合考えられるのは4っ目?2つ目?に「免疫療法」がある。人体に備わっている自己防御システム、単純化すれば、白血球、リンパ球、好中球などを使ってがん細胞を攻撃する、とてもよいコンセプトだが、残念ながら「できればいいね」の世界でもあった、それでもこの分野での医療の進歩はこの10年著しく特に大阪大学医学部は臨床実験をつづけて発展している。大阪大学の臨床実験を受けるか?これが目下の大問題です。