2007年9月25日火曜日

転院はしてみたが-3

 前の病院は国立の伝統があって、入院手続き=保証人資格などうんざりするものがあった。
転院したところはそれほどの手続き主義?は見られない、ここは食事もまあまあで、ナースも親切なところ、築後浅いのでベッドあたりの専有面積も広く、読書灯の光度もそこそこあって不満は少なかった。
 が別件で、おやーーっとおもう出来事があった。まあこんなことがってくらいの気持ちで読んでいただきたい。
 A, 患者、私知らぬ間に「減塩食メニュー」。入院直後から給食トレイの中味が他人と微妙に違う、栄養科に聞くと、「減塩食」とのこと、入院時に常用の降圧剤を申告、提出したので「自動的」にこうなったらしい、知らない私は梅干しなど持ち込んで食べていた(笑)、といったところでおしまい。
 B. 副作用で発疹が出た、チューブの軟膏がでた、期限切れのものが混じっていた、交換した、ここまで。
 C. 前の病院からX-RAY.PET,CTなどの画像を転院ということで借用してきた、「貸出票」が付いていた。
 セカンド・オピニオンの結果報告のため一緒に借用画像フィルムを返しにゆこうとして、渡されたものには「返却明細票」が付いていなかった、不思議に思って聞くと病院間ですでに借用分の返却作業は終わっていたらしい、渡された「フィルム」あれはいったいなんだったんだろう。あまり気にしないことにした。

2007年9月21日金曜日

いびきはかきどくか-泣き寝入りもできないのだ

 転院はしてみたが-2
 K病院は4人部屋であった、ところが同室に大いびきかきが2人連続という「災難」に遭ってしまった。よく理解できないのは病院側はあまり気にしていないこと、巷にはいびき軽減点鼻薬やブレスレットが出回っているが、なんの手当てもしない。聞いてみると「医学的に有効な手当てはない」といった意味の返事があった。
不眠になるほうも治療中の患者なのだ、治療効果にプラスにはなるまい。軽い催眠剤で早めに寝てしまうという「非常手段」もとったが、これってなにか変ではないか。旧態依然といっても私は旧態を知るものではないが、現代の医療ってこんなことはらち外なのだろうか。どなたか、いやこんな解決(耳栓はだめ)もあるって教えてください。

2007年9月20日木曜日

ジェムザールGEM点滴1週間-骨髄抑制は予定どうり

 19日化学療法第5弾GEM点滴後最初の診察へ、事前に判断資料として採血、胸部Xrayを行う。
 採血結果は見事に骨髄抑制、白血球約2300でLレベルでこのままではGEM2回目は出来ない、胸部画像は変化なし、頚部のリンパ節は動きがあるが、次回予定の10月3日まで週1回のチェックしましょうという結論になる。18日の頭部の造影CTは読影未了でオタノシミ?が残っている、イレッサの顔面の湿疹は90%治まった。
療友TAMYさんのHPから得た薬剤情報を主治医に「ご存知でしょうが」といって渡したきた。薬はあるといえばあるが、効果があるとされる遺伝子レベルで適合するものを見つけるのは、遺伝子検査から始まるから、容易でない。

2007年9月16日日曜日

転院はしてみたが-1


 8月20日からK病院へ転院した、前のE病院に比べてアクセスが有利、治療内容もイレッサ服用(1錠/日)の変化の監視だから、閑で困るはずだった。でもいろんなことが起きるもんだというのが退院しての実感、良い方のお話から始めます。
 この病院は食事は、前と比較すればかなり良い、小規模であるからとも言えるがそれだけではない配慮があった、どこでも栄養科とかいう担当部署があるはずで、ここの栄養科は以前からの評判も良いものがあって、体験して頷けるものがあった。1例は8月29日の誕生日、ハッピーバースデーと歌は歌ってくれなかったが、(画像を)カード、赤飯、てんぷら、バースデーケーキ(右上)、ほか2品、翌朝のウェイトはしっかり増えていた。このサービスは前の病院でも行われていたようだが。
 食事の嗜好は個人差があるし、極端な場合、日ごろの食習慣を無視して「まずい(といっとけ)」反応もあるようだ、戦後飢餓世代に属する私には、はずれがなかったわけじゃないがカロリー量もふくめて、納得であった、少しダイエット効果もあった。

2007年9月15日土曜日

発熱でダウン、これも副作用?

 14日は日ごろ発熱力のない人が38℃超に見舞われてダウン、4〜5時間続いたが夜半から平熱に近づき今朝には回復した。発熱は抗がん剤ジェムザールの副作用と明記されているが、2度目の点滴でも発熱すれば(期待したくないが)はっきりする。首の左側リンパ節が腫れぎみ、イレッサ副作用の化膿(小膿疱)のせいではなさそう、マーカーの悪化の反映なのだろうか、18日の造影CTでは判らないでだろうが、疑心にみちた日々である。一つのスッキリ体験は2週間くらい続いている上記の膿疱がおさまりかけて、シェーバーがあてられたことくらいか。

2007年9月12日水曜日

3回戦終わったーーーイレッサ空振り、つぎはジェムザールへ

 8月20日入院、イレッサ投与開始22日、9月5日服用停止、この15日間の推移は結論からいえば腫瘍(CEA)マーカー微増、副作用は1週間過ぎたころから顔面Tゾーン中心に小膿疱発生、口唇部にも及ぶ、マーカーはこの間下がらず、2週間で服用停止となった白血球は4000を超えて骨髄抑制はみられなかった(イレッサの副作用としては抑制は書かれていない)。ハッキリ言えば悪化して退院ということだ。
ただし手ぶらで退院もないから、4番手の化学療法も当然必要であり、退院3日前にとった胸部X線、単純CTをベースにMM医師による本当のセカンド・オピニオン(S.O.)、というのはイレッサ投与はY医師のプランにも当初から目論まれていた、を検討してもらった。
 結論はイレッサと同系ではなく評価安定しているジェムザールが選ばれた。12日午前中の点滴午後退院で24日ぶりに御帰館となった。入院中のエピソードは追ってアップします。