2007年6月27日水曜日

俳 句---点滴シリーズ07.1月分

 人日の胸の薄片写されて          手首に名更に名のってMRI      冬空は高いよ点滴に捕われて                                
(1stライン、治療は化学療法のみ、すべて点滴だった、約2週間の24時間規模の抗がん剤点滴、12日間すべて24時間ではなかったが80%位かな。抗がん剤の副作用、主に吐き気を軽減するために前後に手当が輸液で行われる、抗がん剤はあんこ部分だ、これで副作用の恐さを思い知らされた。一句目の「人日」は七日正月のこと、ここでは正月そうそうにといった感じです。)

2007年6月24日日曜日

いろいろ起る不調なはなし

 このブログは肺腺ガンレポートなのだが、それだけではすまない、問題は波及する。
1月9週間の抗がん剤点滴入院後、左眼の視力が落ちて眼鏡(近用)が合わなくなった、小学校以来のつきあいの近視は、今や乱視も参加して、斜位も出現、緑内障(疑い)は経過観察中だった。斜位解消はプリズム加工レンズが必要、この眼鏡は技術力のある店でないと作れない。
 眼鏡は近用、中間用、遠用の3本を掛け分けて、近用がいちばん悩ましい存在である。
 今回も5月中旬に作ったが斜位からくる左右不同視が解決されず、店からも一度眼科医の検眼をしてから来てくれといわれた、事態は単純に進まないのです。5月下旬に眼科を受診したが、左眼視力がが安定していないから、4週後にこいというゆうことになった、その日は緑内障の進行もハッキリしたので目薬も処方された。
という経過があって、今朝は検眼結果を持って開店直後のヒマな?時間に再訪した、レンズメーカーが用意しているプリズムレンズの限度を超えた状態だといわれて、一旦不可能だという結論になりかけた、ここで諦めたら私の視界はどうなる。店によっては、ここでギブアップ(断る)する。
 この店で作って、使用中の眼鏡を示して食下がる「これはお宅の技術力でつくれた」と、結論は現場技術者の蓄積された裏技を駆使してなんとかしてもらえることとなった。

 この店は「愛眼・津田沼店(サンペデック、047-477-3568)」、眼鏡難民は一度行かれたらいかがでしょう。
 ここまでつきあっていただいてありがとう。

2007年6月21日木曜日

2ndライン4コース終了、3rdラインをどうするか?

 2ndラインは3月に始った「TS1(内服2週間)+シスプラチン(入院点滴、内服期間中の中日に)+休薬期間2週間」、点滴日が20日だった、当日は胸部レントゲン(おおざっぱな確認用)、採血、点滴10時間。点滴ライン確保は大切な段取、開始後5分も経たないうちに、刺入部から出血やれやれ、刺入角度を浅めに微調整して再開。
友人2人がまだ在院、OSさんはイレッサ絡みで思わしくない、OTさんも持病との絡みでまだ苦戦中らしい。
 21日朝からY主治医と面談、状態はTS1の血算値から見る限り副作用が進行、なぜか比例して腫瘍マーカーも上昇。結論この2剤併用作戦は7月の5コースで撤退、3rdラインへ移行「イレッサ」が最有力としてあがる。
EGFR遺伝子変異はマイナスであるから、投与初期は注意深く入院でモニターしながらといった話合いになった。手ごまは少ないのだ。

2007年6月19日火曜日

父の日・6月17日


 息子夫婦が、父の日と、息子本人の誕生日祝を兼ねて休みをやりくりして見舞にきた。平常はエンプティ・ネスト(空の巣、夫婦2人住まい)状況であるから、身内でも「はれの日」というべきか。同病のtamyさんがブログに書いたように自宅療養は、肥満との戦いがある、私の場合も下肢の疲労感、メンタルな下降など手伝って運動不足になりがち、そこへ免疫力、体力をつけろと「ごちそう」がやってくる、結果は肥満へ。
 極力食べる量、飲むカロリーを気にすることになるからパーティは盛り上りを欠く事となるが、やむを得ないことだ、年取ればヒマになって読書量は増えるという甘い予想が裏切られるのと同じ事。
 夫婦だけじゃない食事の場はそれでも大きい気分転換になった。(画像はプレゼントされた向日葵)

2007年6月16日土曜日

[肺ガンのエーーッ:my cancer history-2]

 5月16日に第1回をアップしたが、1月経ってしまった。
  肺ガン患者の初期はさまざま、自覚症状がないのも特徴、なにをあやしいと感じるのか、そんなヒントになるか、経過を追ってみることとする。「拝ガンの栄」というがこいつには「拝顔」したくなかった。

 ’06
.12月16日病理検査の結果が出て「非小細胞、腺がん」の宣告。この時点では本人なにも判っちゃいない、痛くもかゆくもない、うわべは普通人、入院後もおなじ状態の人に何人も会う事になる、肺がんの1つの特徴だ。18日から連続で精査=胃の内視鏡、腹部中心にエコー、造影CT。25日、結果を聞きに行く、CT画像の一番上の肋骨の影に隠れるように直径15ミリほどの病巣が鎮座していた。なにが、どこにあるかという見当がついたわけだ。K医師(外科)による第1次の検査はここで終了、呼吸器科のあるH病院の予約をその場で取ってもらい、翌26日に受診という運びになった。明けてかみさん同伴で呼吸器外科を受診、Y医師(主治医をお願いした)と会う、ここで恐ろしい話が出てくる、「病巣は少なくとも3ヵ所、肺野に播種も見られる、原発部位はこの画像では判らないから、PETで調べて見ましょう、予約をとります」、予約1月5日となる。
とんとん拍子に肺がん患者の途へ入ってゆく、なにも判っちゃいないのだからまだ早期発見などという楽観もあったのです、人生最悪の年末年始となった。(つづく)
 

2007年6月13日水曜日

最近読んだ本「ニッポン縦断歩き旅(クレイグ・マクラレン)」

 旅行記は好きなほうだ。筆者は巨漢(188cm、靴は27cm、)のニュージーランド人、当然ラガー、31才。異常気象(地震、台風、冷夏)の1993年5月20日九州最南端佐田岬発、最北端宗谷岬まで日本海側3200kmを徒歩で99日かけて歩いた記録、会話は日本語、妻は日本人。
 道中のクレイグは、圧倒的に「アメリカ人」と見られた、「なに人」って聞く人は皆無に近い、聞かずにわれわれは「断定」するのだ「ガイジン=アメリカ人」、この思い込みの「重症」ぶり。直感してしまうとクレイグが日本語で「わたしはニュージーランド人」と自己紹介しても、英語で喋られてかのようにしか聞えないのだ、思い込みの修正はめったになされない、全行程で発生するこの異文化理解以前の落し穴、思い込むと聞けども聞えず、見れども見えず、そこいるのは日本語上手な「アメリカ人」、それでも交流はあるのだ。
良く経験することではあるが、先入観・固定観念から自分を解放してあるがままに見る聞くことの大切さを改めた認識させられた、自戒自戒。ここが最大の収穫でした。14年前の日本人はとても友好的であった、いまはどうなんだろうって心配になった。(小学館文庫、1998刊)

2007年6月12日火曜日

私の遺伝子ゲノム解析結果は

 5月27.28日のブログにアップした、イレッサとの適合性を患者本人の遺伝子変異の有無から判断する検査結果が出てきた。
 変異があれば適合性が高いわけだが、残念ながら「変異なし」であった。
 非喫煙、東洋人はあてはまる条件だったのだが、イレッサ服用は、患者の状態PSにも左右されるから、踏切るなら骨髄抑制の悪影響が進行しないうちにやるべきか、判断の基礎条件を主治医とこれから相談ということになる。自分のゲノムが解析されるなんて夢想だにしなかったが、進歩する医療のおかげというわけだ(といっても頭の中の理解であって、なんの自覚があるわけではない、検体は麻酔下で摘出されたわけだし、科学の進歩ってこんなことなのか)。

2007年6月9日土曜日

「肺がん」公開フォーラム感想-日本医学会主催、6月9日

 首都圏に住んでいるメリットでこういう機会を逃さず参加した。
 ガン治療の第一線のドクターが、今重要なテーマ、最新の話題を要領良く解説してくれた。くわしいメンバーは日本医学会HPで見ていただくこととして、印象に残った点を勝手にご紹介する。
 「喫煙習慣」にたいしては、ニコチン依存症という病気である、喫煙者の増加と肺がんの発生件数は20〜30年のラグでカーブが相似形を描いている、先進国の中で日本のたばこ価格が一番安い、アスベスト汚染にも質量ともに匹敵する加害性がある、メタボリック・シンドロームの大きな誘因である。
「薬物療法」では、新薬がつぎつぎと開発されている、特に分子標的薬のイレッサは蛋白分子レベルの適合性の検査が有効である、このEGFRの変異をみる検査方法はやっと保険適用になってきた、県によってまだ適用にしていないところもある(なんで!)。イレッサに続いてはアバスチンが期待されており、大腸ガンには使えるようになった。今使われている抗がん剤の副作用では「骨髄抑制---造血機能阻害」が最大の欠陥、そこで分子標的剤への期待が大きくなる。
 参加されていた人からみれば、まだまだ重要なことが漏れているといわれるのを覚悟でアップしました、私の低い知識の限界と思ってください。
 このフォーラムの内容は約2ヵ月ごには同学会HP上で映像配信されるそうです。

 日本医学会はこれまでガンをメインテーマに公開フォーラムを開催してきており、今回は4回目になる、患者としては非常に貴重な企画であり、同学会に心から感謝したい。

2007年6月8日金曜日

自殺者9年連続3万人超

 1日88人は1時間4人弱という「計算」はそれほど意味のあるものではないが、異常な事態だと思う。
 豊かな生活が表面的に、他人と比べて実現したかに見えるが、現実に一歩踏み込むと、子どもの世界には「健康不安」「いじめ」が、高齢者には圧倒的に「健康不安」があり、これは自殺の原因として統計的に明らかにされている。
 「不安」という言葉は個人の心配事のようにも見えるが、もっと制度的な外圧の存在がある、制度の歪みの現れといってもよいのではないか、わたしも高齢者であって、この数年の医療福祉制度の政策的な切下げには怒りを感じる、健康な高齢者にあっても不安を呼込む効果が出ている。働く人は、倒産を免れたとしても、賃金切下げの中、長時間労働を強いられている。親がこんな状態では、親子の会話、スキンシップなど望外のものとなり、子どもたちは頼るべきものがない、これらの現象は独立したものではなく、相互に関連しており、その背後の政治の影は濃いものがある(上品な表現になったが)。
 ところがなんとこの自殺者を8年かけて20%減らすという数値目標が「閣議決定」が為されたという報道がある(毎日夕刊8日付)、中味を読むと実態解明からなどと書かれている。原因は私などがみても、社会が明るく不安のない方に向かってないこと、これはいまや自明ではないのだろうか。実態調査の結果で新しい自殺の原因が出てくるのか。この数値目標は不思議で仕方がない。
 生きてゆくのに何が必要で、なにが欠けているのか、私たちもわからなくなってしまったのだろうか。
 

2007年6月7日木曜日

ハリー・ポッター(HP)にはまる-1

 1月の入院をきっかけに読み始めた。イギリス初版から11年目になる。
 「HPと謎のプリンス(5巻 上下)」を返却日に追われるように5.6日で読了した、ベッドで読むには重すぎる本格的な造本だからではないが、読書のだいご味に出会った。緻密な人物関係、環境、背景の構成と、魔法使いの人間臭い性格設定、これらに支えられた書込みは子ども向けのファンタジーとかたずけられない迫力がある。第5巻はリクエストしてから2ヵ月近く待たされた、この人気もうなずけるものがある。原作(文字情報)を優先してきたので、1本だけ見たが、映像化も進んでいるのでこれからの楽しみ。こんな状況にでもならなければ、読めなかったかもしれない(そんに忙しかったって聞かれそうだが)、病気になっての思わぬ収穫。(HPについてはこれからも書きます)

2007年6月5日火曜日

ジャパン、トンガに勝利

 日本のラグビー・ファンはいまかってない嬉しい時期を迎えています。カーワン・ヘッド。コーチに変わってからのジャパン・チームは、自信を持つ事の大切さというか、主体性というのか、変身し始めました。その成果が2日で行われたトンガ戦、後半の逆襲を止められずに、3点差まで詰められたが20-17で貴重な勝利を得ました。格上のチームに勝ったことはうれしいことです(オーストラリア・コフスハーバー)。
 このシリーズはパシフィック・ネーションズ・カップ、一方南半球では秋に始るワールド・カップの前哨戦とも言うべきナショナル・チームの対決(テスト・マッチという)も始って、世界トップチームの熱戦が始って、最初から南半球優位の様相が出てきています。
スポーツ界のプロ化が進む中、衛星放送(CS/J Sports)のプログラムで、これらの試合をリアルタイムの中継を含めて、見る事ができるようになりました。録画したカードをにこにこしながら、一生懸命消化している日々です。
 

2007年6月3日日曜日

社会復帰というサクランボ狩


 土曜、日曜は旅行であった。退院後どうしても家にこもる傾向があるので、「引張り出すのだ」という友人達の好意で立科町(長野)の山荘に一泊、温泉、蓼科山山開き、さくらんぼ狩という充実の時間を過した。高所(約1700m)で健常者と同じペースで動くのは始めてで、下肢の疲労感、息切が自覚されたが、運動不足という面もあるから、すべて副作用の後遺といい切れない気がする。
 見上げる蓼科山の頂上付近には残雪も見られ、ときおりぱらつく雨のなか神主の主祭するセレモニーも終り、参加者にはお神酒、多種な山菜のてんぷらが振舞われた、アカシアの黄色、山藤の薄紫の花房の天ぷらを始めて食した、「油沸くこごみアカシア藤の花」。薄ら寒い高原から、暖い平地へ下りて、新しい町「南アルプス市」の桜桃園へ、「高砂」「佐藤錦(画像)」を枝から摘み取り制限時間40分で食べ放題、お行儀悪く種を吐き出し、それぞれ分別と葛藤しながらしっかり腹中へ納めた。丁度昼時でもあった、そば?ほうとう?と想定された昼食はだれも言い出さず、中央高速、石川PAはお茶で小憩、稀に見る無渋滞のなか予定どうり17時30分には出発地点まで帰り着いた。

2007年6月1日金曜日

血算結果は低迷−外来で受診

 退院後リコールされた形でH病院へ、9時に採血、血算結果を待って10時すぎY主治医の診断を受けた。目的はいまの治療コースの継続を吟味すること。白血球は3500でやや低い、赤血球28000、ヘモグロビン10.7と微減している、今使っているTS1の副作用がしっかり出ている(効いているのか?)が、このコースを急いで変更する必要はないというのが結論。なぜか腫瘍マーカー値は欠測、次の点滴一日入院を確認して11時前に終了。イレッサ適応を診るEGFR遺伝子検査ができるようになったとのこと(おそいねーー、別ルートで検査を始めた)。
「あまりおもしろくないね」というのは、同席した女房どのの感想、これは想定の範囲内であっても、彼女の期待は大きいことの現れなのだ。